屋久島が世界自然遺産に登録された後、自然関係の書籍やガイドブック、写真集や地図が数多発行されました。

 それらは膨大な時間をかけ、緻密なフィールドワークによって著されたもので、屋久島の自然をより深く知る援けとなってくれています。

 このサイトでは、その自然や歴史の中で暮らすことで見つけられ、そして紡がれた言葉と文章を多くの人々と共有したいと考えています。

主な内容は以下の通りです。

2019年に発行された、屋久島で生きた詩人山尾三省さんの二冊の新刊詩集(既刊詩集を再編集)「五月の風」と「火を焚きなさい」中から三省さんの言葉を紹介します。

その中でも数篇については、自作詩の朗読とそれにまつわる話しをしていただいた時の音声をYouTubeに順次アップするかたちで記録として残していきます。

なおその音源は1998年から1999年にかけて私自身が録音したものです。


『季刊誌 生命の島』は1986年(昭和61年)創刊、23年間続いた屋久島の雑誌で、編集発行人は日吉眞夫さんです。

屋久島が「世界自然遺産登地(1993年)」になったことに対する島民の驚きやその後の意識変化、「観光地」になっていく屋久島を知る貴重な資料として後世に残っていく仕事です。

この雑誌には島内外の様々な人々が連載、または投稿しているので「日本全体或いは世界全体から見た屋久島」という視点を島内読者に与えてくれました。

季刊『生命の島』 総目次

創刊~第33号

第34号~第50号

第51号~第83号

 創刊号が出された翌年の2月、初めて屋久島を訪れた帰りの空港で第4号を買い求めたことが、わたしたち家族の屋久島移住のきっかけになりました。

 編集長の日吉眞夫さんとの縁もそれ以来のもので、特に覚えているのがアメリカにおける9.11事件の時、一体何が起きているのか整理できない頭を抱えて編集室(現在の喫茶樹林)を訪ねました。日吉さんと話しがしたかったからです。

 2020年の現在、コロナ禍の後、恐らく来るであろう世界大恐慌の予感にわたしは、日吉さんだったらどう考えるだろうと思い、彼のエッセイ集「屋久島 旅路としての日常」そして「屋久島より愛をこめて」の中から立ち上がってくる屋久島に暮らすことの原点を探していこうと思います。


『季刊誌 生命の島』の創刊号から2007年の秋号まで続いた連載が

山本秀雄さんによる「歴史資料紹介」です。

屋久島には歴史資料がほとんどないと言われる中で、山本先生は、各地の様々な文献の中に遺されたわずかな記述を頼りに古書を探し、まさに知の大海の中にネットワークをつくっていく作業をされました。

 

 このサイトでは山本先生の膨大な蔵書と知識に裏付けられた『季刊誌 生命の島』に連載された文章をそのまま読めるように、PDFファイルに保存する作業を行っていきます。

 それは後世の人たちが屋久島の歴史や暮らしをより深く知るための道しるべとなるものです。


民話 下野敏見編 屋久島の民話(赤本・緑本)

中世期、地理的・地形的条件により海上交通の要として存在していた屋久島には、様々な地方から多くの人々訪れました。

そして薪や水を調達したり、長期間滞在して漁業や林業に従事したのです。

この二冊の本は、おそらくその人たちによってもたらされたであろうおとぎ話を、鹿児島の民俗学者下野敏見先生が百篇ほど収集し、まとめてくださったものです。

屋久島独自のものもいくつかありますが、多くは日本のあちらこちらに伝わる昔話と似ています。それはやはり人の行き来が多かったことと、その物語やそれを語る人に対して「屋久島が持っている開放性と受容性」という精神文化の現われに他なりません。

屋久島弁はできないので、朗読です。

聞いているうちに眠くなる「ゆったりとした朗読」を目指します。